世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現
2022-08-14


ぼそっと池井多 <寿郎社・2020.10.30>

 まだ「ひきこもり」という言葉がなかった80年代半ばの23歳のときから現在まで、いろいろな形でひきこもりを続けているという著者が、世界の様々な国の10名を超えるひきこもり当事者とネット上でメール等のやりとりをし、インタビューとしてまとめた本。著者はひきこもりになって居心地の悪かった日本から逃げ出し、世界各地で著者の言う「そとこもり」をしているとき、自分と同じような状況の多くの日本人や外国人と会う機会があって話をし、そういう人が外国にも多くいることを知っていた。帰国後、アフリカの実情を知る人として誘われて書いた文章が何かの賞をもらい、国際ジャーナリストとしての活動を始めたが、やはりそれも堪えられなくなって、またひきこもったという。その後、海外にいるはずのひきこもり達との連携を試み、「Hikikomori」で検索してヒットしたフランスのサイトがきっかけとなって、2017年に世界ひきこもり機構(Global Hikikomori Organization, GHO)を創設し、世界各地のひきこもりとの交流が増えて現在に至るようだ。著者は今年60歳のはずだが、「世界」をWorld でも International でもなくGlobalとしたことも含め、若いひきこもりでは辿りつけないような長年に渡るひきこもり経験と洞察が隅々に感じられて、おそらく世界的にみても貴重な対話集と思った。Hikikomori という言葉がそのまま多くの国で使われていることも初めて知った。著者は本のタイトルが気に入らなかったようで、確かに網羅的にする意図はないからその気持ちがわからないでもないが、読者にとってはわかりやすく、正解だったと思う。
 本書によって何か新しい知識が増えたというより、ひきこもりという現象は、統計が存在しないのでその数は全く不明であるが、世界のどこでも起きていることと理解した。本書でも言及されていたように、家族より個人を優先し、大人になったら家を出て行くことが普通のフランスやアメリカでは、ひきこもりではなくホームレスになると聞いたことがあったが、必ずしもそうではないのは、当然といえば当然だろう。フランスでは25歳を超えたひきこもりに対しても経済的にサポートする制度があって、一生、生活の心配がないことも興味深かった。そのような国でも当事者が幸せに生きられるかどうかは別の話だろうが、少なくとも本人の安心感にはつながるだろう。またひきこもりがいるのは先進国だけ、というのも誤りで、インド、フィリピン、バングラディシュ、カメルーンにもいて、ひきこもって一人になる場所が家の中にないという例もある。またひきこもっていることが苦しい人もいれば、社会の方が病的だとして全く悩んでいない(ようにみえる)人もいる。それらの違いの一つの要因は、経済的なサポートも含めて、ひきこもりに対する社会の受け止め方なのだろう。
 著者が本書を書いた動機は、ひきこもりに対する世の中の、専門家と称する人たちも含めて、間違った理解を正したい、ということにあるようで、これまでに読んだひきこもりの本とは全く異なるスタンスで書かれていて、非常に興味深く、また少し理解が広がった気がする。著者が言うように、本書に登場した人たちが実在するという証拠はないが(単にメールのやりとりだけ)、充分に説得力のある対話記録と思う。札幌の小さな出版社が良い本を作ってくれた。
[読書]

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